じいちゃんトライアスリートの旅

還暦過ぎのトライアスリートです

3回目の接種が近づいてきたぞ

まだ、依然として収束の気配が感じられない状況が続いているが、来年7月に皆生が開かれても大丈夫なように、準備だけは怠っていない(出場権は、まだ生きているはずだから)。

 

スイムは、速く泳ぐことを捨て、ゆっくり、浮いて泳げるように日々努めている。

けのび、キャッチアップ。

面白いもので、ゆったり泳いでも、50mを55秒で泳げるようになってきた。

目先のスピードを求めないことが、よい結果につながっているようだ。

このペースで延々と泳げるようになれば、言うことないのだが。

 

バイクは、玄関での3本ローラー主体。

心拍数は150まで追い込めるようになってきたので、上出来。

パワーもNPが150Wを超えてきた。

まあ、実力的にはこんな所だろう、もう大きな進歩はのぞまない。

当たり前だろ、この歳で。

 

ランは恥ずかしいほどの月間走行距離だが、何とか20キロならキロ5分で走りきれているので、文句は言うまい。

このところ、ランのVO2maxは60台を保てている。

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このようにパフォーマンスレベルはいたって順調に推移しているのだが…。

 

3回目の接種が近づいてきた。

せっかく安定しているVO2maxなので、できればこのままをキープしていたい。

今度下がったら、n=1でも、因果関係ありと断定せざるを得ないぞ。

 

走ることって

時々、ふっと思うことがある。

まぁ、より速くなることに見切りを付けた、爺じのぼやきに違いないが。

今の世の中、走ることって何かの役に立つのだろうか。言い換えれば、人様のお役に立つようなことがあるのだろうか。

人力で走ることで、それを生業にしている人など、まずいない(どこかにいたら、ごめんなさい。プロランナーは別として)

江戸時代なら、飛脚がある。

江戸から京都までわずか数日間で、重要書類を運ぶ役割を担っていた。

話は逸れるが、少し前に、ある女性タレントが「筋トレっていうことが世界で一番、意味分かんないんだよね」と私見を語っていた。「ラグビーやって筋肉つくとか、格闘技やって筋肉つくとか、そういう方が好きなんだよね。」とも。

物議をかもしたようだが、一理ある。

走ることはもちろん健康維持に適していることは言を俟たないが、フルマラソンで3時間や3時間半を切ったとか、それを目指して頑張るとか、どれほどの意味があるのだろう。

筋トレとは異なるが、しかし似ているような気がしないでもない。

そのうち件の女性タレントにターゲットにされるかもしれない。飛脚のような役割があって走っているわけでもなく、走るために走っているのだ。

家族や、他の楽しみの時間を犠牲にしてまで頑張るほどのものだろうか。

還暦もだいぶ前に過ぎ、新コロのおかげで一息ついた今、ペースやタイムばかりを気にするランはそろそろ卒業し、せっかく身に備わった持久力や筋力を、山登りや、街道の峠越えとかに使ってはどうかと、思い始めた昨今である。

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皿ケ嶺に向かう途中の峠、たどり着くには、しばし劇坂を我慢しなければならない。

 

やっとVO2Maxが戻ってきた

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5月に突如落ち込んだVO2Maxだったが、9月になってやっと戻ってきた。

4か月間かかった。

 

落ち込みの理由は、不明としておくが、2回目のP社製ワクチン接種が5月18日。

いやでも関連を匂わせるが、“n=1“ではエビデンスに乏しく、これ以上は言及すまい。

 

ま、それはさておき、走り方(大腿引き上げ法)か、VO2Maxの改善か、とにかくやっとキロ5分前後で走れるようになってきた。

スタートラインに立てた。

何のスタートラインかは解らぬが。

だってレースがないんですもの。

いつもの年なら、体育の日前後に開催される梼原町の龍馬脱藩マラソンに向け、ひたすら坂連している頃だなあ。

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9年前、脱藩マラソンで思いがけず表彰状をいただくの図
20年以上、履き続けているジャージが恥ずかしい

レースもないなら、虫も少なくなっただろうから、また山登りに精を出すか。

四国は山国ゆえ、車で30分もあれば、どこかの登山口にたどり着けてしまう便利な所なので。

 

速くはなるよ、大腿引き上げ法

昨日も大腿引き上げ法を実践、その結果

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蒸し暑い悪条件下、平均ペース4:48は速い、昨今の私にとって。

ただし、心拍数の上りが良すぎるというか、心臓への負荷が高い。

よって持続して走れなかった。

4キロまでは1キロ毎に休憩、5キロからは何とか2キロ毎。

走り方に工夫がいるなあ。

心拍数145でキロ4:45を維持して、距離が走れたら、フルマラソンで使えるのだが。

それにしても、歩幅が1.03mとは、期待したほど拡がっていない。1.10mは欲しいなあ。

ペラペラのターサージール6のせいもあるけど。

もう少し、歩幅が拡がる工夫が要りそう。

まだまだ研究は続く…

もしかして走りの極意??

昨日、ジョギングに出かけ、走っている最中に気がついた。

走りの極意??

気が付いた途端に、突然速くなった。

…………………………

ここに至るまでの経緯は少なからずある。

 

スイムのユーチューブのトモキン先生のバタ足の講義で、

大腿部のみ意識して上下に動かしなさいと。下腿や足首は脱力のみで意識するなと。

フーン、なるほどな。

 

もう一つ。

二日前のジョグで左下腿の筋、腓骨筋か脛骨筋のどちらか(脛骨筋ってあったかなあ)を痛めた。

少しまだ違和感が残っていたので、今日のジョギングはできるだけ大腿部を意識して走ってみようと思っていた。

痛みが出たらすぐにでもやめようくらいの気持ちで走り出した。

 

違和感はほとんどなかったが、走り出しのペースはキロ6程度で、ああ、今日もダイエットと排塩が主体のランに終わりそうだなあと思っていた。

 

中盤過ぎになってふと気が付いた。

ランて積極的に筋に働きかけている動きは、大腿部を前方に振り上げることだけじゃないのかと。

下腿や足首は受動的に体を支えているだけなのかも。

よし、一つ大腿部を前方に振り上げることだけを意識して走ってみよう。

それ以外はすべて忘れてしまおう。

振り上げの角度は気にせず、振り上げのケイデンス(RPM)だけ変化させて遊んでみた。

少しだけケイデンスを上げてみたら、なんと思いのほかペースが上がるではないか。

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キロ6分で終了するつもりが、どんどんペースアップし、最後は4:30が切れてしまった。

ガセネタかもしれないので、公開を躊躇したが、オンゴーイングなのも臨場感があっていいかもしれない。

もう少し、試してみて本当に効果が出るか確認してみます。

当たり前のこと

私が尊敬している元プロ野球選手の福本豊が述べている。

「当たり前のことを、当たり前にこなしているうちに、誰でも一流の域まで届くと信じています。」

…………

ほんとにそうだろうか??

真意は「当たり前」を軽視するな、ということのようであり、

また「当たり前」をがまんして繰り返すことができるか、それが最も大事とも述べている。

ただ、誰でも一流の域というところがどうも引っかかってしまう。

「当たり前」というのは人それぞれ基準が違い過ぎるのではなかろうか。

福本が当たり前とするレベルは、他の人のそれとはかけ離れたものに違いない。

この言葉は、突拍子もない練習に飛びついたりするなという戒め程度にとっておいた方が無難な気がする。

 

話題は変わるが、桑田佳祐の楽曲を聞くことが多い私が気づいたことがある。

桑田は歌詞に使う言葉のイントネーションを無視した曲作りをしない。

曲と歌詞のどちらを先に作っているのかを知らないが、上記の原則が守られている。

したがって、歌詞が聞き取りやすいのである。

言葉のイントネーションと曲が一致していないと、何を歌っているかさっぱり聞き取れず、あらためて歌詞を見て、初めて理解できるようなこととなる。

多分、このことは桑田にとってあまりに「当たり前」のことであり、これを外すことは、曲作りのプロセスにおいて、絶対に許せない一線と心得ているのではなかろうか。

 

ここらで止めておけば良いのだが、もう一つ話題を変えると、

私の住んでいる四国にも観光列車がある。

九州や中国地方あたりを走っている豪華列車からは、かけ離れたものだが。

つい先日、里帰りしている娘が手にしたパンフレットに出ていた伊予灘ものがたりという観光列車に乗らないのかと問うので、あまり気が進まない旨を答えた。

一緒にいた相方も「お父さん、あんまりそういうの好きじゃないんよ。」とのたまう。

海岸線を走るこの路線からの伊予灘の景色は、特に夕日が海に落ちる時間帯、素晴らしい景観になることを知っている。

日本列島の中でも、海岸線を西に持つ県が、そんなに多くない事に、最近気がついた。

宣伝になるが、青春18きっぷで有名になった下灘駅も、まさにこの路線にある。

それでも気が進まない。

なぜなら、景色が見やすいように座席が窓側に向けてしつらえてある。

ここは景色が良いんだから、ほら景色を見なさい、もっと見なさいと勧められているようで、お仕着せがましいことこの上ない。

紅葉の時分に、渓谷を渡る橋を走行する列車が、ほらほら、ここここ、とスピードを落としたりするのをテレビで見ているだけで、いたたまれなくなる。余計なことをしてくれるなって。

景色は自分が見たいときに見るし、感動せよと言うなら、人並みにできるので、まあ、正直放っておいてほしい。

自由さは、私にとって優先順位の上位に位置する。

娘らが乗りたがる観光列車は、どれほど車内がきれいで、景色が堪能できるよう設計されているとしても、残念ながら窮屈な気分になるに違いない。(分からんけど)

もちろん、あれこれ算段しながら売店で買い込んだビールを、窓際のスペースが狭く、どこに置こうか迷うくらいの従来の列車が私にとって「当たり前」のことであり、この時のわくわく感がたまらないのである。

晩夏

蝉と秋の虫のコラボが始まった。

すでに季節は晩夏か。

暑い日が続くかと思ったら、後半は雨だらけの夏だった。

自ずと戸外での活動は制限され、毎日スイムという日課が続いた。

ランで表彰台に上ったりしたこともあった自分だが、今やこの体たらくは目を覆うほど。

レースもないし、速く走る必要がなくなってしまっている。

体が忘れない程度に走ってはいるが。

それはさておき、おかげでスイムは少しだけ上達した。

ユーチューブのトモキン先生のおっしゃることを忠実に守って練習に励んでいる。

上達の証はタイムに現れ、50mで5秒短縮。

些細なタイムの短縮に、一喜一憂している年齢不相応な自分がいる。

ただ人間、何事によらず、今上達していると実感できる時、何にも代えがたい満足感が得られることも事実ではある。

さて、体重維持のために、今日ぐらい少し走っておくか。