何年かに一度、「あゝ、今日が夏の入り口だ」と気づく日がある。
今朝、お孫ちゃんを保育園に送り届けて、帰ろうと車に近づいた時。
東の空を見上げ、空気感が入れ替わったと感じた。
瞬間、なんとも言えないせつなさに襲われた。
子供の頃の夏休みの記憶とかが、一気に押し寄せてきたからだろうか。
四万十川上流域に住む知人から、本日鮎が届いた。
なき始めた蝉の声が、秋の虫に代わるまでの2ヶ月間と少し、夏を満喫したい。
バイクコース、大山周囲の広域農道上、バイクスタートから57.07キロ地点、2時間38分40秒で私のレースは終わった。そこに居合わせた2名のマーシャルの方にリタイアを告げた。
木陰で足を伸ばし、後ろに手をついて休もうとするも、左大腿の痙攣は容赦なく襲い続ける。
少し、足の姿勢を変えると、今度は右足が攣り始める。
眼の前を行き来する選手たちは、ある者はあがきながら、ある者は涼しい顔して通り過ぎる。
マーシャルの方からいただいたOS-1を飲みながら、収容車が来るまで雑談を交わす。
同年代と思しき一人の方は、私と同じ2019年の皆生にも出場されたとのこと。
宮古にも出られたそうだが、皆生の山登りのハードさを嘆いておられた。
そして7月下旬のこの時期の暑さのことも。
今朝のことを思い出す。
車を皆生の指定の駐車場に止め、会場まで他の選手達と前後して歩いている時、選手同士の話が聞こえてきた。「スイム中止で、duathlonになったことは知ってるよね?」
えっ、そうだったのか。
私は瞬間、小躍りして喜んでいる自分を抑えるのに必死だった。
スイムを苦手とする私にとって、スイム中止は朗報以外のなにものでもなかった。
かなり練習は積んできたので、少し残念と思いながらも。
私の場合、完走できるかどうかは、スイムで完泳できるかにかかっているのだ。
おまけのような第一ランの何キロかをやり過ごしさえすれば、バイクと第二ランのみとなり、完走は手中に収められたと皮算用を始めている。
この時の甘い目算が、文頭の結果に直結してしまった。
私はduathlonというレースを経験したことがなく、第一ランをどのようなペースで走ったらいいかなど、全く知識がなかったのである。
同県からの知り合いの一人にも出会い、そのことについて聞けばよかったのに、雑談だけで通り過ぎてしまった。
第一ランの7キロは8時半スタートだが、日向はものすごく暑く、ずっと日陰で過ごし、スタート直前になって、ランで整列している選手の中に割り込ませてもらった。
一体どっちに向かって走り出すのかも判らないし、この位置が前の方か、後ろの方なのかなど判るわけがない。
まあ、走り出したら、周囲のペースに合わせて走ればなんとかなるんじゃないのと、全く戦術もなく、スタートの号砲に合わせて走り出したのである。
周囲はわりと速いペースのような気がしたが、付いていけないことはないので、そのままの流れに乗る。
走り出すと暑い暑い。
途中でガーミンを見る余裕がなかったが、1キロごとのタイムを知らせるので、最初のアラートで確認すると、5分ちょっと。
エッ、これは速すぎだろう。
暑さの影響も大きく、心拍数が140以上と上がりすぎている。
これはオーバーペースだから、抑えないといけない。
抑えよう、抑えようとするも、周りのペースから、脱落するのも悔しいのか、その後も同じようなペースのままで進んでしまい、最後、心拍数は練習でもほとんど目にすることのない160以上に達してゴールした。
こんなに速く走ってしまったことの反省もないまま、バイクラックに近づくと、周囲のバイクはまだほとんど残ったままであった。
これは、良い順位でレース展開できるかもと、急いでバイクにまたがり、この順位に付けている選手達に遅れを取らないよう、必死にペダルを漕ぎ続ける。
スピードはあまり気にしていないが、心拍数はここでも150以上をキープしている。
これはまずいんじゃないと思い、落とそうとするもなかなか140台で落ち着かない。
こんな調子で、バイクも故意に抑えることができぬまま、2時間ほどが経過する。
そして、最初の痙攣が長い上り坂に差し掛かったところで起きる。
少し休んで、走り始めると、どんどん坂はきつくなるが、ペースを落とせば、なんとか痙攣は免れて進めていた。
しかし、ここの広域農道はジェットコースターと称されるように、上り下りが嫌というほど繰り返される。
そして、上記の地点に近づいた頃、両足の痙攣が続け様に起きるようになってしまった。
止まった時にはリタイアは頭になかったが、じっと立っていても痙攣が続く様子からは、とてもこのまま走り続けるのは無理だなと思い始め、リタイア宣言まで大して時間はかからなかった。
そういえば、直前のマルトデキストリンの捕食時に嘔気が生じており、軽い熱中症、脱水が始まっていると自己判断した。
マラソンも含め、これまでのレース経験の中で初めてのリタイアであったが、なんとか原因を探っておかなくてはと、疎な脳であれやこれや考えているものの、行き着くところは、練習不足につきるような気がする。
ロングライドが情けないほどできていなかった。
第一ランで上げすぎたことはもちろん引き金になっているが。
これまでロングに4回出させてもらっているが、リタイアを意識したことはなかった。
したがって、私特有の慢心が心の何処かにあったかもしれない。
初のレースにあたっては、完走するためのあらゆることをやっておかないと気がすまないのだが、2度3度になるにしたがい、どこか準備に緊張感が薄れてきてしまう悪い癖があるのだ。
せっかくレースに出させていただいたのに、情けない話だがロングのための準備不足が結果に出たのだと反省している。
子供の頃、父親にテストで良い点数が取れたと報告すると、相好を崩しながらも、その都度「決して慢心するな」と諌められたことを、今になって思い出す。
親父は、いつかは改心すると期待して、何度も口酸っぱく説いてくれたのであろうが、根っこの性格は、本人が痛い目に遭ってすらも、なかなか変わらないものだと痛感し、多分また同じような事を繰り返すんだろうなと、いつまでも大人になれない自分が、逆に愛おしく思えたレース後のひと時であり、このブログを書いている。
毎年、灼熱の中、繰り広げられる皆生のレースが、今回はほとんど太陽が顔を見せることのない、涼しささえ感じられほどの、有難い条件下でのレースとなった。
自分の完走できる確率は7割くらいと予想して臨んだレースだったのだが、この天候のおかげもあって、完走できてしまった。
ゴールの掲示板には12時間55分と表示されていた。
6年前のタイムとほとんど変わらないよう。
よくあるパターン。
ま、タイムはどうあれ、完走できてよかった、よかった。
あと三日。
やるだけやってみます。
先ずは家人に心配させず、無事に家に帰ってくること。
2年ぶりの白浜、高速とフェリーを乗り継ぎ7時間。
真っ白な砂浜にあちこちに湯煙が上がる温泉天国。
町中にはそこかしこから硫黄臭が漂う。
魚はもちろん、温泉街には中華(品品香)や洒落たイタリアン(レストランSAKAKURA)もあるし。
トライアスロンにかこつけて来るのでなければ、よほど楽しいだろうに。
完走への不安を抱えながら、説明会がマストなので前日入り。
前回に変わらず、良識に富んだ説明会で、またまた禁酒の推奨を何回も。
これにより、一杯くらいならの気分も吹き飛ぶ。
冊子に目を通すと、応募者が多く、毎年倍率は1.5倍くらいにも。
この場所にいられることのありがたみがじわっと湧いてくると同時に、手を抜いたレースなどもってのほかと静かに誓う。
前出の野菜のおいしさを引き出す絶品の中華料理店で夕食を摂るも、頼んだのはミネラルウオーター。
宿に戻り、3つのバッグに物品を詰め込む。
10時くらいには、眠れなくてもどちらでも良いと思いながら、布団にもぐり込む。
5時起床。
地元の郷土料理の高菜で巻いた「めはりおにぎり」にバナナ、ジュースなどで腹を満たす。
宿から会場までは歩いて30秒ほどのところなので、ゆったり過ごす。
ヘルメットをかぶり、バッグ担いで、いざ出陣。
会場はすでににぎわっている。
試泳、開会式、準備体操と進み、いよいよ第1グループのスタート。
スタートブイの近くはひどいバトルに。
潮の流れが右から左へと流れているもよう。
これらを眺め、ブイから一番離れた右から出ようと決める。それも一番後から。
バトルが怖いのである。完泳できれば、それ以上望むものはない。
スイムに自信の持てない選手は、背中に目印の風船をしょって泳ぐことができるのだが、もちろん付けさせていただいた。
第2グループの後、いよいよ我々のスタートだ。
波打ち際は波が高く、せっかくスタートしたのに押し戻される選手も。
さすが大平洋だ。
スタート直後にゴーグル左目に海水が入りこみ、つらい。
どうしたものかと思案するも、それ以上は入ってこないようだったので、まあいいかと。
いろいろ想定外が起こるものだ。
さてバトルの方はと。さすがに人里外れたところからスタートしたおかげか、人口密度が低いようで、いっさい無し。
ただ淡々と腕を回し続けるも、想像したよりも最初のブイまでが遠い。
少しだけ完泳に不安がよぎる。
何とかブイまで到達し、方向転換してから後はさほど距離を感じなくなった。
潮の影響で最初は押し戻されていたのかもしれない。
2周目の途中くらいからは完泳の自信が醸成されてきたので、陸に上がっての行動パターンを予習するくらいの余裕が出てきた。
そんな余裕があるくらいなら、もう少し速く泳いだらとも思うが無理無理。
そうこうしてる間に陸が近づいてきて上陸。
タイムは不明だが、ふらふらする程は疲労していないので、上出来と判断する。
シャワーで人の3倍くらい時間をかけて塩抜き。
バイクラックにたどり着くと、両脇のご近所さんも準備中だった。
一人遅れているわけではなさそうなので、まあよし。
準備を終え、バイクを押し歩きながら見渡すと、まだ結構残ってるじゃんと気を良くする。
どんどん良い方に考える自分ってどうなんだろう。
さあ、バイクスタート。
脚は軽く、最初の急勾配もクルクル回して進むが、しばらくすると強い向かい風に。
このあたりから、先のグループの速い人たちにどんどん抜かれ始める。
私はエアロバーも付けていないロードで参加したので、この向かい風は効く。
ただ、抜かれながらも、落胆することもなく、心拍数と相談しながら、淡々と進む。
バイクあまり練習できていなかったから仕方ないや、焦らずランにつなげないと。
ここは最後飛行場に上がるために恐ろしい急勾配が待っているしな。
パワーバーのウェハースを定期的に摂り、後に備える。
その急勾配はダンシングでクリアーし、ほぼ終わりかと思ったら、飛行場を4往復という責め苦が待っていた。
風が強く、向かい風になる方向はホントに進まない。
するつもりもないが、ドラフテイングチェックのバイクの取り締まりもきつそう。
皆さんと同じように苦しみながら耐えるのみ。
で、やっとバイクゴール。
ここまで来れば10キロのランを残すのみ。
行けるか。走り始めは重い重い。
しかたないなあ、とにかくリズムだ。
左右の脚をリズムで交互に動かすのみ。
前半は下りが続くので、心臓にはありがたい。
追い風のせいか発汗はさほどでもないが、体は熱くなっているはず。
エイドではしっかりスポンジで頭や首筋を冷却し、また血圧の大敵の塩タブをこの時ばかりはと2錠ずつしっかり摂取。
海岸にたどり着き、平地を進む。
最近はここらで歩いたり休んだりする自分を知っているだけに、いつになったらその病気が出るかおそるおそる進む。
結構心拍数は上がっていて、150を上回っている。
ただ、道端に設置された距離表示の進みが早く感じられ、調子は悪くないような気もする。
気が付いたら後2キロもない円月島まできてしまった。
行ける行ける。
今日は行けるぞ。
ゴールの体育館が近づいてくる。
よし、少し上げてみるか。
と、前の方を抜くともなく抜いてしまった。
道路を左折すればゴールが待っている。
説明会のお約束に従い、帽子サングラスを取っている間にふと左を見ると先ほどの方が追い上げてこられ、横に並んでいた。
ハアア、そういうことならとことんいきますよと、年甲斐もなく全力疾走しゴーーール。
僅差で刺せてしまった。ごめんなさい。
ゴール後お互いに年齢を確認しあい、別のグループであることを知り、何もそこまでやらんでもと笑い合ったことだった。
とにかく、途中で止まることなく完走し、最後にこんな余力が残っていたことに復活の気配を感じることができた嬉しいレースとなった。
成績 409/545人中(完走男子) 偏差値:スイム(43), バイク(41), ラン(47)
なんとか完走できました。
自分時計では3時間9分くらいですが。
公式記録の発表を待っています。
というほどのタイムでもありませんが。
スイムは一番端から出て、バトルなし。
バイクは抜かれっぱなし。
ランはゴール間際に、ひょっと追い抜いたところ絡まれ、年甲斐も無く最後は全力疾走。
一応刺しときました。
ゴール後、お年を尋ねると、私より五つも年上の方でした。
てなことで、とりあえず最後まで持ち応え、万々歳での完走でした。