人には、どうでも良いことでも、当人にとってはとても大事なことがら、というものがある。
私の場合、万が一、そのひと夏の間に、『ヒグラシ』の声を聞き損なったりしようものなら、穏やかな気持ちで秋を迎えることができない。
理由は、ただ何となくである。
だから逆に『好む』ということのランク付けなら、より高尚であると言えなくもない。
ヒグラシがバックグランドのシチュエーションならば、500の缶ビールをツマミ無しで、2本はいける自信がある(何を自慢しているのやら)。
以前、川釣りにはまっていたことがあり、それなりの場所では、梅雨の時期には啼き始めることを、身をもって知っている。
8月上旬には、とうに盛は過ぎてしまっているだろう。
今般の事情もあり、ヒグラシが生息する地域への移動もはばかられ、ついここまで来てしまっていた。
うずうずしていた。
そんなタイミングに、相方から明日の日曜日、用があってお出かけするとのお達し。
その瞬間、私の疎な脳内で次のような計画が、超短絡的に決定された。
自転車➡長距離➡ヒグラシ➡瓶が森林道。
コースは毎度のごとく、行きの松山、西条間はJRで、帰りの東温、松山間は伊予鉄で輪行。
間のメインディッシュだけいただく算段。
前日の準備は大忙しで、天気予報のチェックから始まり、チェーンのお手入れ、アブ対策の虫よけスプレー、エネルギー作成(粉飴300gにパラチノース50g)等々。
晩酌も控えめに終え、早めに就寝。
朝5時起きで、6時13分発の特急しおかぜに乗り込む。
約1時間で西条駅に到着、バイクを組み立て、7時37分いざ出発。
キャンパーで賑わう加茂川を横目に、一路、寒風山峠を目指す。
暑く、止まると汗がすごい。
塩分、エネルギー補給を怠らないよう、ガーミンを20分毎にアラームで知らせるよう設定。
こまめにボトルのエネルギーを摂取しながら進む。
淡々と進み、旧寒風山トンネルへの分岐手前の水場で一息つく。
木陰が多く、好きなつづら折れのコースが始まる。
途中の竿谷川に架かる橋で一休み。念のため、おにぎりを一個頬張る。
すでに標高は600mを超え、暑さはさほどでもない。
ふと気づくと、鳥の声に交じり、聞こえ始める。
ヒグラシの啼き声があちらこちらから。
これを待っていたんだ。
思い通りの展開にもう何も言うことがない。
耳はヒグラシ、ただ脚は淡々と回すのみ。
旧寒風山トンネルにたどり着き、高知県側の駐車場でボトルの水分補給。
ここから瓶が森林道が始まるが、20数キロの間に自販機は一切ない。
林道に入るとすぐ、難関の急斜面が待ち受ける。
ガーミンの斜度計が連続して、9-10%を指し示す。
せっかくヒグラシが啼いてくれても、しんどさが強く、感じ入ってる場合どころじゃなくなってくる。
何とか伊予富士の登山口をクリアーし、素掘りのトンネルをいくつか通り過ぎると、眼前にパノラマが拡がる。
UFOラインの名称にふさわしい天空の道。
今日は拝ませてもらえた。通算5打数4安打だ。
この後もしっかり上りが待ち受けていて、最高地点は1600mを超えたようだ。
最後の急坂を超えたら、石鎚山の登山口、土小屋に到着。
改装しており、一階はしゃれたモンベルのお店になっていて慌てたが、
二階は従来通りの食堂で、いつもの具沢山カレーを食べることができ、一安心。
再出発しようとした頃から、雨がポツポツと降り出し、あっという間に土砂降に。
しかし雨宿りする気にもなれず、一気に山下り。
寒くて唇が震える。
途中のわずかな上り坂がありがたく感じるほど。
面河まで降りると、小雨になり、また晴れ間が出たりで、目まぐるしく天候が変わっていく。
天候がどうとなろうと、最後の黒森峠に臨むのみ。
再び、500-600mくらいは登らなければならない。
膝はなんとか持ちそうだが、路面から立ち上る湯気や暑さのためか、脚が動かなくなってきた。
情けないが、休みを入れながら、少しずつ進んでいく。
峠まであと少し。雲行きで陽が翳ると、待ってましたとばかりにヒグラシの合唱が始まる。
最後は斜度が緩くなったおかげで、心身に余裕ができ、今年初めての啼き声に、耳をすませながら、峠にたどり着くことができた。