バイクコース、大山周囲の広域農道上、バイクスタートから57.07キロ地点、2時間38分40秒で私のレースは終わった。そこに居合わせた2名のマーシャルの方にリタイアを告げた。
木陰で足を伸ばし、後ろに手をついて休もうとするも、左大腿の痙攣は容赦なく襲い続ける。
少し、足の姿勢を変えると、今度は右足が攣り始める。
眼の前を行き来する選手たちは、ある者はあがきながら、ある者は涼しい顔して通り過ぎる。
マーシャルの方からいただいたOS-1を飲みながら、収容車が来るまで雑談を交わす。
同年代と思しき一人の方は、私と同じ2019年の皆生にも出場されたとのこと。
宮古にも出られたそうだが、皆生の山登りのハードさを嘆いておられた。
そして7月下旬のこの時期の暑さのことも。
今朝のことを思い出す。
車を皆生の指定の駐車場に止め、会場まで他の選手達と前後して歩いている時、選手同士の話が聞こえてきた。「スイム中止で、duathlonになったことは知ってるよね?」
えっ、そうだったのか。
私は瞬間、小躍りして喜んでいる自分を抑えるのに必死だった。
スイムを苦手とする私にとって、スイム中止は朗報以外のなにものでもなかった。
かなり練習は積んできたので、少し残念と思いながらも。
私の場合、完走できるかどうかは、スイムで完泳できるかにかかっているのだ。
おまけのような第一ランの何キロかをやり過ごしさえすれば、バイクと第二ランのみとなり、完走は手中に収められたと皮算用を始めている。
この時の甘い目算が、文頭の結果に直結してしまった。
私はduathlonというレースを経験したことがなく、第一ランをどのようなペースで走ったらいいかなど、全く知識がなかったのである。
同県からの知り合いの一人にも出会い、そのことについて聞けばよかったのに、雑談だけで通り過ぎてしまった。
第一ランの7キロは8時半スタートだが、日向はものすごく暑く、ずっと日陰で過ごし、スタート直前になって、ランで整列している選手の中に割り込ませてもらった。
一体どっちに向かって走り出すのかも判らないし、この位置が前の方か、後ろの方なのかなど判るわけがない。
まあ、走り出したら、周囲のペースに合わせて走ればなんとかなるんじゃないのと、全く戦術もなく、スタートの号砲に合わせて走り出したのである。
周囲はわりと速いペースのような気がしたが、付いていけないことはないので、そのままの流れに乗る。
走り出すと暑い暑い。
途中でガーミンを見る余裕がなかったが、1キロごとのタイムを知らせるので、最初のアラートで確認すると、5分ちょっと。
エッ、これは速すぎだろう。
暑さの影響も大きく、心拍数が140以上と上がりすぎている。
これはオーバーペースだから、抑えないといけない。
抑えよう、抑えようとするも、周りのペースから、脱落するのも悔しいのか、その後も同じようなペースのままで進んでしまい、最後、心拍数は練習でもほとんど目にすることのない160以上に達してゴールした。
こんなに速く走ってしまったことの反省もないまま、バイクラックに近づくと、周囲のバイクはまだほとんど残ったままであった。
これは、良い順位でレース展開できるかもと、急いでバイクにまたがり、この順位に付けている選手達に遅れを取らないよう、必死にペダルを漕ぎ続ける。
スピードはあまり気にしていないが、心拍数はここでも150以上をキープしている。
これはまずいんじゃないと思い、落とそうとするもなかなか140台で落ち着かない。
こんな調子で、バイクも故意に抑えることができぬまま、2時間ほどが経過する。
そして、最初の痙攣が長い上り坂に差し掛かったところで起きる。
少し休んで、走り始めると、どんどん坂はきつくなるが、ペースを落とせば、なんとか痙攣は免れて進めていた。
しかし、ここの広域農道はジェットコースターと称されるように、上り下りが嫌というほど繰り返される。
そして、上記の地点に近づいた頃、両足の痙攣が続け様に起きるようになってしまった。
止まった時にはリタイアは頭になかったが、じっと立っていても痙攣が続く様子からは、とてもこのまま走り続けるのは無理だなと思い始め、リタイア宣言まで大して時間はかからなかった。
そういえば、直前のマルトデキストリンの捕食時に嘔気が生じており、軽い熱中症、脱水が始まっていると自己判断した。
マラソンも含め、これまでのレース経験の中で初めてのリタイアであったが、なんとか原因を探っておかなくてはと、疎な脳であれやこれや考えているものの、行き着くところは、練習不足につきるような気がする。
ロングライドが情けないほどできていなかった。
第一ランで上げすぎたことはもちろん引き金になっているが。
これまでロングに4回出させてもらっているが、リタイアを意識したことはなかった。
したがって、私特有の慢心が心の何処かにあったかもしれない。
初のレースにあたっては、完走するためのあらゆることをやっておかないと気がすまないのだが、2度3度になるにしたがい、どこか準備に緊張感が薄れてきてしまう悪い癖があるのだ。
せっかくレースに出させていただいたのに、情けない話だがロングのための準備不足が結果に出たのだと反省している。
子供の頃、父親にテストで良い点数が取れたと報告すると、相好を崩しながらも、その都度「決して慢心するな」と諌められたことを、今になって思い出す。
親父は、いつかは改心すると期待して、何度も口酸っぱく説いてくれたのであろうが、根っこの性格は、本人が痛い目に遭ってすらも、なかなか変わらないものだと痛感し、多分また同じような事を繰り返すんだろうなと、いつまでも大人になれない自分が、逆に愛おしく思えたレース後のひと時であり、このブログを書いている。