じいちゃんトライアスリートの旅

還暦過ぎのトライアスリートです

帰ろ、お父ちゃん

YS~11から降り、徒歩で空港ターミナルにたどり着いた18歳の男子は、名古屋から付き添いで、来てくれていた父に向かってひとこと言った。

「帰ろ、お父ちゃん」

検索しても、画像が見つからないので、記憶をたどれば、当時の松山空港のターミナルは、平屋でプレハブ作りのような、ホッタテ小屋のそれだった。背部には宮崎とかでよく見る、ビロウが植えられていたような気もする。(全て間違っているかも知れませんが)

これらを目にした瞬間、男子は思った。「ここは僕が来るとこじゃない」

もちろん男子は旅行で来た訳ではない。

2期校の受験のため、初めて四国、愛媛、松山の地にたどり着いたところだったのだ。

1期校に玉砕し、背水の陣で愛媛を受験しようと、2期校突破講習会にも参加し、もしかしたらの希望を胸に、飛行機に乗り込んで来たのに。

慌てた父親は、宿泊施設までの道すがら、タクシーの運転手に「できるだけ、松山の賑やかそうな所を通ってくれませんか」と頼む始末。

運転手も運転手で、堀之内をかすめながら、「まあ、こんなもんですよ」と追い打ちをかけるように、つれない。

その晩、二人で宿の近くの中華か何かを食べたような気がするが、こんなに優しい父親は生まれて初めてのようで、最大限の気を遣ってくれたような気がする。(これも曖昧だが、だとすると、申し訳ない)

 

今振り返ると、それにしても、18歳にもなった男子の、キモの座ら無さにあぜんとするし、冗談でなく、本気でこんな言葉を父親に投げかける配慮の無さに、恥ずかしくて、涙が出てきてしまう。

 

昨日、婿さんの見送りついでに、駐機場の、プロペラのボンバルデイアを見ていたら、突如、沈殿していたはずの、父親との忘れ難い思い出が、フラフラと浮き上がってきた。「親父、すまんことしたな。」

 

余談だが、この受験に奇跡的に合格した男子は、その後、松山に50年間住み続けることになってしまう。