時々、ふっと思うことがある。
まぁ、より速くなることに見切りを付けた、爺じのぼやきに違いないが。
今の世の中、走ることって何かの役に立つのだろうか。言い換えれば、人様のお役に立つようなことがあるのだろうか。
人力で走ることで、それを生業にしている人など、まずいない(どこかにいたら、ごめんなさい。プロランナーは別として)。
江戸時代なら、飛脚がある。
江戸から京都までわずか数日間で、重要書類を運ぶ役割を担っていた。
話は逸れるが、少し前に、ある女性タレントが「筋トレっていうことが世界で一番、意味分かんないんだよね」と私見を語っていた。「ラグビーやって筋肉つくとか、格闘技やって筋肉つくとか、そういう方が好きなんだよね。」とも。
物議をかもしたようだが、一理ある。
走ることはもちろん健康維持に適していることは言を俟たないが、フルマラソンで3時間や3時間半を切ったとか、それを目指して頑張るとか、どれほどの意味があるのだろう。
筋トレとは異なるが、しかし似ているような気がしないでもない。
そのうち件の女性タレントにターゲットにされるかもしれない。飛脚のような役割があって走っているわけでもなく、走るために走っているのだ。
家族や、他の楽しみの時間を犠牲にしてまで頑張るほどのものだろうか。
還暦もだいぶ前に過ぎ、新コロのおかげで一息ついた今、ペースやタイムばかりを気にするランはそろそろ卒業し、せっかく身に備わった持久力や筋力を、山登りや、街道の峠越えとかに使ってはどうかと、思い始めた昨今である。