約3年ぶりのフルマラソン。
今までに感じたことのない不安感が否応なく襲ってくる。
練習も十分できておらず、直前の30キロ走と20キロ走の2回のみ。
30キロ走では20キロから段差をもってスピードダウンしているし。
20キロ走も、以前よりペースは10秒遅い。
完走とか、心をよぎることもなかった言葉が頭にちらついてくる。
そう言えば、防府は制限時間4時間か、まさかな。
いるいる、キャップを被ったジャージ姿の連中が。
しかしジャージに包まれた体はシャープペンの芯のように細く、まっすぐだ。
そして日焼けした顔。
自分もこの仲間なのか、ここにいていいのだろうかと自問自答する。
防府駅では、新山口駅から来た新幹線組の大集団と合流し、シャトルバスに乗り込み会場へ。
いよいよ始まったなと、気分を戦闘モードに切り替える。
立派なアリーナ内でゆっくり着替えし、その時が近づくのを待つ。
これまで散々寒くて、苦しんだ記憶しかない防府だが、今日は暖かそうだ。
持参してきた耳当て、首巻き、グラブは、リュックの中でお役目終了。
軽さで選んだターサーRP2に足を入れる。
トラックレースでも使用可能な正真正銘の薄底シューズだ。
スタート前30分にもなったので、アリーナを後にする。
少し風はあるが、申し分ないお天気だ。今日は天気のせいにはできない。
準備運動もそこそこに、割り当てられたビブナンバーのブロックに整列する。
ちなみに防府のビブナンバーは、直近のレースタイムによって厳密に序列化されているので、その人の実力が直ちに明らかになるという恐ろしい代物でもある。
スタートが近づいてきた。興奮もないし、緊張もない。
そしてスタート、先頭では川内選手が走り始めているはず。
そんなことを思い浮かべながら、周りと歩調を合わせ進んでいく。
始まったな4時間弱の苦闘が。
1キロのペースは5分と少し、まあまあだな。
しかし、その後のペースが思ったより上がらない。
5分を少し切るくらい、良くて4分50くらいか。
なんとか我慢して、10キロまでたどり着く。とりあえず、24分台では来れている。
次の5キロも方向によっては風に翻弄されながらも、何とか24分を維持。
しかし、次の5キロでは25分を超えてしまう。
ハーフのタイムが1:45:56と残酷な現実があらわになる。
3時間半が遠のいていく。
気持ちが切れたのか、体がそうなのかは分からないが、段差をもって落ちていく。
薄底の影響か、足裏のジンジンが追い打ちをかける。
これは軽さを取ったが為のトレードオフだから、目をつぶるしかない。
ここからは次の目標を定めなければ、どんどん落ちていくぞ。
自分との対話が始まる。フルマラソンで経験できる貴重な時間だ。
どうする、何を目指す??体調は??脚は??気力は??
「タイムはもういい、今持てるものを全て出し切ろう。」
そう思いなおすと、不思議と周りから遅れていくことがなくなってきたような気がした。
まだ頑張れる。きっと周りも苦しいんだ。とにかく列車に乗り続けよう。
そう思っても、30キロから1キロずつ重ねていくのが遅い遅い。
時々数え違いして、まだそこだったかと落胆することも。
最後の難関、三田尻の坂を超えれば、2キロでゴールの地点だ。
走れ、出せ全てを。何とかキロ5分台に戻して陸上競技場へ。
トラックでは意味もないのに、2人程追い越しゴーーール。
掲示板は3時間49分に変わるところだった。
出し切ったかな。良くやったじゃないか。
ゴール後、トラックの周回に沿って、歩いて帰途につくところで、レース中何度となく見覚えのあったTシャツを着た方がいたので、思わず声を掛けてみた。
年は40前後で1600番台のビブナンバーだから、3時間20分前後の実力の持ち主である。
そんな彼ですら、30キロ過ぎたところで、寒さのためか、体調が悪くなり、リタイアしようか悩んでいたそうである。
走り続けたら、復調したので、そのまま完走できてよかったと。
そうか、誰もが涼しい顔して走っていると思ったら、そんな事ないんだなあと思い知った。
大風呂敷にはかけ離れた結果だったが、晴れ晴れした気持ちで菅公様ゆかりの地を後にすることができた。
あとどれくらいレースに参加できるかわからないが、ここまでこれた幸運と、ここで走り切れたことに感謝し、できることならもう少し練習を積んでいきたいとあらためて思った。