2月6日(日曜日)は私にとって特別な日だ。
2月の第一日曜日は2007年から、毎年参加していた愛媛マラソンの日なのである。
余計なことを言えば、2007年という頃は、東京マラソンなど無く、街中をジョギングしているだけで、変な人と思われかねない時代だった。
今では見慣れたタイツ姿のオヤジとか、当時は絶対に許されない姿であり、ドキドキしながら玄関を出たものである。
市民マラソンという言葉も無く、愛媛も御多分に洩れず、20キロの関門が、1時間45分、ゴールは4時間で締め切りの、ただただ体育会系のそれだった。
当時は県警の理解が得られず、精一杯だったらしい。
初心者が参加しようなどと言えば、職場で寄ってたかって、笑いのネタにされる程の、ハードルの高い大会であった。
コースも変わり、市民マラソンに変貌した愛媛は、6時間制限まで緩やかに。
そんな愛媛が昨年に続き、今年も中止に。
今回はこのような事態を想定し、エントリーすらしていなかったのだが。
すでにレースそのものに対する意欲も低下してきている昨今だが、その日になるとやはり心のどこかに引っかかるのである。
スタート時刻の10時になると、これから始まるのか、この寒さと強風の中、厳しいコンデイションだな、午後の1時半くらいになると、今ゴールを目指して、もがいている頃だなとか。
参加しないのは、自分で決めたわけではなく、外的な要因(コロナ)によるものであり、このまま知らないフリで、この日を素通りしてよいのかと、自問自答が始まる。
なにもしないでいいのか、俺…。
相方のお供で、買い物から帰った午後2時前に、突如走ろうと決意。
といっても42キロは無理なので、標高300メートルの山含みの30キロコースでお茶を濁そうか。
ペースなどに見るべきものなどないが、最後までヘタれずに走れ、年甲斐もなく、もう少し頑張ってみるかなどと思いながら、心置きなくこの日を終わることができた。
もしかしたら、水筒に忍ばせたパラチノースのおかげかもしれないのだが(まだまだ欲気たっぷりなくせして)。